Climb "Mt.Moriyoshi" 1,454m in autumn.
自然に学ぶもの。
春夏秋冬季節は移り変わり、どの季節が訪れてもやっぱり一番だ!という僕の浮気性は一生変わりっこないだろう。
どの季節が一番好きー?という質問は、山と海どっちが好きー?っていう質問と同じくらい無意味なものだ。
今はもちろん秋が一番!なんてのんきなこと言っている間に冬はもうすぐそばまで来ていた。
秋田ではすでに初雪観測。いつも見える太平山の奥岳は、うっすらと雪化粧に覆われている。
そして、写真は10月7日の森吉山である。
春山での帰り道に痛い目にあったア・ノ・ヤ・マ。
まだ新鮮な紅葉の中、僕たちはのーんびり頂上を目指していた。
"僕たち" はもちろんJさんだ。
前日は森吉山荘に泊まり、佐藤さんと5ヶ月ぶりの再会を経て、最高の晩飯に舌鼓を打ち、昼には山荘お手製のトレッキングおにぎりをバックパックの中に忍ばせていた。
森吉山荘は僕たちの中では忘れられない場所なのだ。
真っ暗闇の山道を歩いているとき、目の前にポッと現れた優しい灯りをたまに思い出す。
ヒバクラ分岐。
森を抜け視界が一気に開ける。(この瞬間最高!また味わいたい!)木道はしっかり過ぎるほど整備されていて歩きやすいし、なにより気持ちが良い。大声を出しながらズンズカ歩く。
四季折々、毎度のことながら日本に生まれたこと、いや地球に生まれたことに感謝する。
人生まだまだ始まったばっか、これからいろんな場所に行って、いろんな風景をこの目に焼き付けていきたい。
この想いこそが毎日を平凡に生きる力の根源なのだ。
なにも特別じゃなくていい、普通で良いのだ。普通に仕事をして、普通に遊んで、普通に生きることこそ自然回帰というもんじゃないか。
ましてや僕なんてお金持ちな訳じゃない。
たかだかトレッキングするにも何年もかけて少しずつ集めてきた道具達を背負って、ようやく登り始めただけなのだ。
お金をかけなくても登れるとしても、僕の場合まず無理。着衣や道具無くして山に入り込むことは到底できやしない。
山でビバークするためのテントなんてじっくり選んでいるものの今だに買えやしない。
むしろもっともっと需要が伸びて手頃な価格にならないかとまで考えている。でも、妥当な価格だということもちゃんと知っている。
それこそ最近はブームに乗っかってちょいと怪しいブランドもあるが、価格に値する価値のある道具なのだ。
命あってなんぼ、"お金には換え難い" である。
こうして努力して買った物への愛着とメンテナンスは忘れない。
そしてすべてに感謝しながら平凡な毎日を楽しむことができるのだ。
その先には達成感と絶景が必ず待っている。
高いも低いも関係無いかは高い山に登ってみないとわからないけど、個人的には長い山に登ってみたい。一週間程度、2、3日でもいいから山の中で過ごしてみたい。
これは僕の小さい頃からの夢である。
この先何年かかってもいい。
生きてる限りいつかは行けるんだ。
ご存知の通り僕は登山家でも冒険家でもアスリートでもない。長い人生で少〜しずつ自然に近づくことができればそれで良い人間。
ただその中から多くを学べば良い。そして歩けなくなる頃に終点を決めれば良いと思う。
僕にはたったそれだけでいいのだ。
春夏秋冬季節は移り変わり、どの季節が訪れてもやっぱり一番だ!という僕の浮気性は一生変わりっこないだろう。
どの季節が一番好きー?という質問は、山と海どっちが好きー?っていう質問と同じくらい無意味なものだ。
今はもちろん秋が一番!なんてのんきなこと言っている間に冬はもうすぐそばまで来ていた。
秋田ではすでに初雪観測。いつも見える太平山の奥岳は、うっすらと雪化粧に覆われている。
そして、写真は10月7日の森吉山である。
春山での帰り道に痛い目にあったア・ノ・ヤ・マ。
まだ新鮮な紅葉の中、僕たちはのーんびり頂上を目指していた。
"僕たち" はもちろんJさんだ。
前日は森吉山荘に泊まり、佐藤さんと5ヶ月ぶりの再会を経て、最高の晩飯に舌鼓を打ち、昼には山荘お手製のトレッキングおにぎりをバックパックの中に忍ばせていた。
森吉山荘は僕たちの中では忘れられない場所なのだ。
真っ暗闇の山道を歩いているとき、目の前にポッと現れた優しい灯りをたまに思い出す。
ヒバクラ分岐。
森を抜け視界が一気に開ける。(この瞬間最高!また味わいたい!)木道はしっかり過ぎるほど整備されていて歩きやすいし、なにより気持ちが良い。大声を出しながらズンズカ歩く。
四季折々、毎度のことながら日本に生まれたこと、いや地球に生まれたことに感謝する。
人生まだまだ始まったばっか、これからいろんな場所に行って、いろんな風景をこの目に焼き付けていきたい。
この想いこそが毎日を平凡に生きる力の根源なのだ。
なにも特別じゃなくていい、普通で良いのだ。普通に仕事をして、普通に遊んで、普通に生きることこそ自然回帰というもんじゃないか。
ましてや僕なんてお金持ちな訳じゃない。
たかだかトレッキングするにも何年もかけて少しずつ集めてきた道具達を背負って、ようやく登り始めただけなのだ。
お金をかけなくても登れるとしても、僕の場合まず無理。着衣や道具無くして山に入り込むことは到底できやしない。
山でビバークするためのテントなんてじっくり選んでいるものの今だに買えやしない。
むしろもっともっと需要が伸びて手頃な価格にならないかとまで考えている。でも、妥当な価格だということもちゃんと知っている。
それこそ最近はブームに乗っかってちょいと怪しいブランドもあるが、価格に値する価値のある道具なのだ。
命あってなんぼ、"お金には換え難い" である。
こうして努力して買った物への愛着とメンテナンスは忘れない。
そしてすべてに感謝しながら平凡な毎日を楽しむことができるのだ。
その先には達成感と絶景が必ず待っている。
高いも低いも関係無いかは高い山に登ってみないとわからないけど、個人的には長い山に登ってみたい。一週間程度、2、3日でもいいから山の中で過ごしてみたい。
これは僕の小さい頃からの夢である。
この先何年かかってもいい。
生きてる限りいつかは行けるんだ。
ご存知の通り僕は登山家でも冒険家でもアスリートでもない。長い人生で少〜しずつ自然に近づくことができればそれで良い人間。
ただその中から多くを学べば良い。そして歩けなくなる頃に終点を決めれば良いと思う。
僕にはたったそれだけでいいのだ。
by hibi-nani
| 2010-11-02 01:12
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