for KIDS.
笑って、泣いて、少し休んで進んで。
1998年。
18才の僕はとてつもなくへなちょこで、格好つけることにしか興味が無かった。
そんな青春時代に素直に吸収されたものは、なかなか心の奥底から離れようとはしない。
今となっては吸収するどころか、拒むことの方が多くなったような気がするというのに…。
しかしそんな感受性豊かな時代だったからこそ出逢えて本当に良かったと憶(おも)えるものがある。
それはロックという音楽。(当時パンクやコアとも呼ばれていたが、ここではあえてロックと呼ばせて頂きたい。)
格好良くて熱くて楽しくて純粋で単純で、でも複雑で時には切なくて深くて優しくて平等で。
そして大切な絆を育ててくれた音楽、ロックンロール。
特にこの98年には、あの忘れられないAIRJAM'98という心の奥底に深く残るビッグイベントがあった。
そう、僕は紛れもないKIDSなのだ。
この時代の僕のような人間はそう呼ばれた。
ライブに行くとみんなが仲間で、助け合いに成り立つ一期一会の中に絆が生まれ、誰かが倒れたのなら手を差し伸べて助けてあげる。
そして最後には肩を組んでモッシュでひとつとなる。
そんな格好良くて熱くて楽しくて純粋で単純で複雑で切なくて深くて優しい平等な音楽が大好きだった。
2012年。
32才の僕は結婚し家を建てて子供ができて、家族というものを手に入れた。
しかしまあクソッタレだった自分の人生がこんなにも変わっちまうなんて夢にも思わなかった。もちろん全て妻や周りに居てくれる人達のおかげだということも知っている。
音楽は少しずつ聴く幅が広がって昔みたいにこだわることは無くなってきたけれど、ひとつだけ変わんないものがあるとすれば、それはロックに対する熱い気持ちだろう。
2012年9月16日、32才の僕はKIDSとしてその場にいた。
AIRJAM 2012。
今でもまだ信じられない気持ちでいる。
家族と。自分の子供達と一緒にこの音楽を聴いているということ。
そしてもうひとつ忘れてはいけない大切なこと、ここ東北のために動いてくれている方々がいるという事実。
2011年3月11日。秋田はほとんど人災等の被害は無かったものの、あの日以降の記憶が焼き付いて離れない。その中心で被災してしまった友達の家族、後からニュースや人伝いに聞こえてきた現実、Facebookを始めとするソーシャルツールを通して感じる人々の気持ち。
まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ続いている。
AIRJAMに向かう車中でハイスタを聴きながら泣いた。
なんでかわかんないけれど、急に胸が締め付けられて涙が溢れてきた。
実はなぜかはわかってる。でも色んな気持ちがあり過ぎてここでは到底説明しきれない個人的な気持ちというものがある。
多分当日会場にいたKIDS一人一人がその大切な "憶い" というものを持っていたと思う。
それが、ロックというもんだから。
僕のロックの定義は間違いなくそこにある。
一言では言い表すことのできない感情、涙なくしては語れない音楽。
冒頭の写真は、深沼海岸の慰霊碑に置いてあったというAIRJAM2012オフィシャルブック。
とあるブログから拝借して使わせていただきました。
AIRJAM以降すっかり涙腺が緩んでしまったようで、涙が止まらないでいる。
やっぱり僕はロック無しでは生きれない、今もまさに音楽と生きている友達が何人かいるけれど、ホント格好良いと思うし応援している。
年ばっか食っていくけどこれで良いんだ、KIDSとは夢を持ち続ける特別な人間だってこと。
自分の中の消えかけてた大切なものを取り戻せる人間だってこと。
1998年。
18才の僕はとてつもなくへなちょこで、格好つけることにしか興味が無かった。
そんな青春時代に素直に吸収されたものは、なかなか心の奥底から離れようとはしない。
今となっては吸収するどころか、拒むことの方が多くなったような気がするというのに…。
しかしそんな感受性豊かな時代だったからこそ出逢えて本当に良かったと憶(おも)えるものがある。
それはロックという音楽。(当時パンクやコアとも呼ばれていたが、ここではあえてロックと呼ばせて頂きたい。)
格好良くて熱くて楽しくて純粋で単純で、でも複雑で時には切なくて深くて優しくて平等で。
そして大切な絆を育ててくれた音楽、ロックンロール。
特にこの98年には、あの忘れられないAIRJAM'98という心の奥底に深く残るビッグイベントがあった。
そう、僕は紛れもないKIDSなのだ。
この時代の僕のような人間はそう呼ばれた。
ライブに行くとみんなが仲間で、助け合いに成り立つ一期一会の中に絆が生まれ、誰かが倒れたのなら手を差し伸べて助けてあげる。
そして最後には肩を組んでモッシュでひとつとなる。
そんな格好良くて熱くて楽しくて純粋で単純で複雑で切なくて深くて優しい平等な音楽が大好きだった。
2012年。
32才の僕は結婚し家を建てて子供ができて、家族というものを手に入れた。
しかしまあクソッタレだった自分の人生がこんなにも変わっちまうなんて夢にも思わなかった。もちろん全て妻や周りに居てくれる人達のおかげだということも知っている。
音楽は少しずつ聴く幅が広がって昔みたいにこだわることは無くなってきたけれど、ひとつだけ変わんないものがあるとすれば、それはロックに対する熱い気持ちだろう。
2012年9月16日、32才の僕はKIDSとしてその場にいた。
AIRJAM 2012。
今でもまだ信じられない気持ちでいる。
家族と。自分の子供達と一緒にこの音楽を聴いているということ。
そしてもうひとつ忘れてはいけない大切なこと、ここ東北のために動いてくれている方々がいるという事実。
2011年3月11日。秋田はほとんど人災等の被害は無かったものの、あの日以降の記憶が焼き付いて離れない。その中心で被災してしまった友達の家族、後からニュースや人伝いに聞こえてきた現実、Facebookを始めとするソーシャルツールを通して感じる人々の気持ち。
まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ続いている。
AIRJAMに向かう車中でハイスタを聴きながら泣いた。
なんでかわかんないけれど、急に胸が締め付けられて涙が溢れてきた。
実はなぜかはわかってる。でも色んな気持ちがあり過ぎてここでは到底説明しきれない個人的な気持ちというものがある。
多分当日会場にいたKIDS一人一人がその大切な "憶い" というものを持っていたと思う。
それが、ロックというもんだから。
僕のロックの定義は間違いなくそこにある。
一言では言い表すことのできない感情、涙なくしては語れない音楽。
冒頭の写真は、深沼海岸の慰霊碑に置いてあったというAIRJAM2012オフィシャルブック。
とあるブログから拝借して使わせていただきました。
AIRJAM以降すっかり涙腺が緩んでしまったようで、涙が止まらないでいる。
やっぱり僕はロック無しでは生きれない、今もまさに音楽と生きている友達が何人かいるけれど、ホント格好良いと思うし応援している。
年ばっか食っていくけどこれで良いんだ、KIDSとは夢を持ち続ける特別な人間だってこと。
自分の中の消えかけてた大切なものを取り戻せる人間だってこと。
by hibi-nani
| 2012-09-24 01:18
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