natuLIFE.
住むというスタイル提案。
少しばかり「住む」ということについて考えてみる。
どんな住宅であっても住み手によって様々な価値観や色や生活がある。
また、建物でいうと様々な形やスタイルがある。
一概に正解など無いけれど、本当に自分の住みたい生活を送れているかどうかが大切になってくると思う。
つまり注目すべきは、土地の広さや住宅の大きさや庭の広さなどではなく、ライフスタイルかもしれないのである。
ひとつのアイデアとして…
①そもそも自分の住む家は自分で建てた方が良い。
②自分の生活スタイルに合わせて自由に設計をした方が過ごし易い。
③失敗や破損すら味や想い出になる。
④自分で建てた家なら自分で直すことができる。
⑤愛着が湧く上で大切にしようとする。
⑥心から住むことができている。
①は、実際に無理なのはもちろんわかってはいるけれど、そういう気持ちでいることが重要ではないかということ。
家のことが手に取るようにわかるのは住んでいる人だからこそ。無関心は恐ろしい。
人に建ててもらっているという気持ちが強過ぎると、不備があったときに文句しか考えないし、それしか言うことができない。
これでは楽しく暮らせない。
②難しい建築でなくても、例えばただの「箱」だとすれば、足りなくなった時に足せば良い。どんどん手を加えることができる。(最初のコストを抑えているからできることや、こういったことを自分の手で行っている国もあるという事実も知ってほしい。)
果たして廊下は必ずしも必要なのか?広いエントランスは必要か?テラスはどう?吹き抜けは?もちろん必要な人も居るし、そうでない人もいる。正解を見つける必要もないけれど、重要なのは自分が必要かどうかを自分自身が知るってこと。
だって素人相手にこれで良いのだとお金を踏んだくる業者もいるかもしれないでしょ。
③おもしろいことに、自分がした失敗であれば、これで良いのだとくるりと置き換えることができてしまう。ここが壊れても家は崩壊しないというところ。
④⑤少なくとも自分が関わっていると、直す術がわかっていく。
家を最大の道具と考えることができたなら、自分の大事な道具のひとつにしてしまう。
できる範囲のメンテナンスは自分でしてしまおうとする気持ちが少しでもでてきたら、僕はスゴイと思う。
我が家も薪ストーブの煙突掃除は自分でやっているが、普通なら業者にお願いしても良いレベルだとも思う。そして扉やなにかが壊れても極力は自分で直すことにしている。
人間のスゴイところは習得していく力があるってことだ。
ここだけの話、そんなに重要でなく後々に張り替えることができる箇所であれば放っておくこともする…笑
⑥なによりもこれが一番重要。
さっきの放っておく話の続きではないが、ハッキリ言って人目は気にしないし、見栄も張りたくない。
心から楽しむにはこれしかないでしょ。
物の贅沢より心の贅沢を大切に。
心の贅沢はその人自身のものなので、必要最低限を取り入れることができる。他人への見栄が入ると本当に必要なものも隠れてしまって、結局は余計な物が増えてしまうのだ。
小さい家で十分だとも決めつけはしないが、土地があるからといって家を大きく造るだけではなく、もっと遊び心を取り入れて、森のような庭にして家を包んであげるのも一つの提案かもしれない。
そして子供と一緒にその庭でテントを張って住んでみたりとかね。
せっかくファッションや音楽や乗り物に気を使っているのに、それを「住む」ということに気持ちを向けないのはもったいない。
確かにそれにはお金がかかる。しかし、なにもお金をかけるだけが正解ではないし、まずは人生をかけて考えてみればいろいろなアイデアや、まずやってみようという気持ちになるかもしれない。
自分なりのスタイルと落ち着く空間に仕上げるには、やはり心のゆとりが必要なのか。
これはあくまでも僕自身の見解だけど、「自然を愛するという直接的な見返りのない姿勢や、心のゆとりが大切だと本気で思っている。そして、流行に左右されず自分の色を見出していければ大成功」である。
つまりは、これからどんな良い家を建てるかではなく、これからどう暮らしていくかが重要。
まだまだスタート地点に立ったばかりなのだ。
少しばかり「住む」ということについて考えてみる。
どんな住宅であっても住み手によって様々な価値観や色や生活がある。
また、建物でいうと様々な形やスタイルがある。
一概に正解など無いけれど、本当に自分の住みたい生活を送れているかどうかが大切になってくると思う。
つまり注目すべきは、土地の広さや住宅の大きさや庭の広さなどではなく、ライフスタイルかもしれないのである。
ひとつのアイデアとして…
①そもそも自分の住む家は自分で建てた方が良い。
②自分の生活スタイルに合わせて自由に設計をした方が過ごし易い。
③失敗や破損すら味や想い出になる。
④自分で建てた家なら自分で直すことができる。
⑤愛着が湧く上で大切にしようとする。
⑥心から住むことができている。
①は、実際に無理なのはもちろんわかってはいるけれど、そういう気持ちでいることが重要ではないかということ。
家のことが手に取るようにわかるのは住んでいる人だからこそ。無関心は恐ろしい。
人に建ててもらっているという気持ちが強過ぎると、不備があったときに文句しか考えないし、それしか言うことができない。
これでは楽しく暮らせない。
②難しい建築でなくても、例えばただの「箱」だとすれば、足りなくなった時に足せば良い。どんどん手を加えることができる。(最初のコストを抑えているからできることや、こういったことを自分の手で行っている国もあるという事実も知ってほしい。)
果たして廊下は必ずしも必要なのか?広いエントランスは必要か?テラスはどう?吹き抜けは?もちろん必要な人も居るし、そうでない人もいる。正解を見つける必要もないけれど、重要なのは自分が必要かどうかを自分自身が知るってこと。
だって素人相手にこれで良いのだとお金を踏んだくる業者もいるかもしれないでしょ。
③おもしろいことに、自分がした失敗であれば、これで良いのだとくるりと置き換えることができてしまう。ここが壊れても家は崩壊しないというところ。
④⑤少なくとも自分が関わっていると、直す術がわかっていく。
家を最大の道具と考えることができたなら、自分の大事な道具のひとつにしてしまう。
できる範囲のメンテナンスは自分でしてしまおうとする気持ちが少しでもでてきたら、僕はスゴイと思う。
我が家も薪ストーブの煙突掃除は自分でやっているが、普通なら業者にお願いしても良いレベルだとも思う。そして扉やなにかが壊れても極力は自分で直すことにしている。
人間のスゴイところは習得していく力があるってことだ。
ここだけの話、そんなに重要でなく後々に張り替えることができる箇所であれば放っておくこともする…笑
⑥なによりもこれが一番重要。
さっきの放っておく話の続きではないが、ハッキリ言って人目は気にしないし、見栄も張りたくない。
心から楽しむにはこれしかないでしょ。
物の贅沢より心の贅沢を大切に。
心の贅沢はその人自身のものなので、必要最低限を取り入れることができる。他人への見栄が入ると本当に必要なものも隠れてしまって、結局は余計な物が増えてしまうのだ。
小さい家で十分だとも決めつけはしないが、土地があるからといって家を大きく造るだけではなく、もっと遊び心を取り入れて、森のような庭にして家を包んであげるのも一つの提案かもしれない。
そして子供と一緒にその庭でテントを張って住んでみたりとかね。
せっかくファッションや音楽や乗り物に気を使っているのに、それを「住む」ということに気持ちを向けないのはもったいない。
確かにそれにはお金がかかる。しかし、なにもお金をかけるだけが正解ではないし、まずは人生をかけて考えてみればいろいろなアイデアや、まずやってみようという気持ちになるかもしれない。
自分なりのスタイルと落ち着く空間に仕上げるには、やはり心のゆとりが必要なのか。
これはあくまでも僕自身の見解だけど、「自然を愛するという直接的な見返りのない姿勢や、心のゆとりが大切だと本気で思っている。そして、流行に左右されず自分の色を見出していければ大成功」である。
つまりは、これからどんな良い家を建てるかではなく、これからどう暮らしていくかが重要。
まだまだスタート地点に立ったばかりなのだ。
by hibi-nani
| 2013-03-20 15:12
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