Noriyoshi Kato.
加藤則芳。
僕がロングトレイルという存在を知ったのはこの方がいたからと言っても過言ではない。
もっと言うと、ロングトレイル自体ではなく、こんな歩き方や過ごし方、いや遊び方と言ったほうが良いのか。現代でもこんなことができるんだという感動を憶えさせていただいた。
それまでは、「自然=山、山=頂上を目指すだけのもの」という先入観が間違い無くあって、
登山自体はもちろん楽しいけど、それだけではないような気がしてならず、僕にとって登山が自分の自然欲を直接消化することに繋がらないでモヤモヤしていた。
秋田の山歩きといえばまだまだ中高年の方々にとっての健康のため、憩いのため、信仰のためというイメージが強い。
そして決してそうでない方もたくさんいらっしゃるが、中には我がもの顔で振る舞う方も数人見かけたことがあった。
僕の中での自然というものはそんな域に無かったのでガッカリした記憶があるのでものすごーく憶えてる。しかしそんな人間は本当にごくごく一部で、大抵の山人は挨拶を交わしたり、情報交換をしてみたり、街中ではありえないような出会いがあったりする。
僕が自然に入る行為は健康のためでもなく、憩いのためでもなく、信仰のためでもなく、今はまだ花に興味があるわけでもない。
そこは上も下も無く、なにかと比べる必要もなく、ハッタリも通用しない、ただただ"あるだけ"という世界観。僕もそこに"いる"だけ。
自分が主役じゃなくなる時間。
複数人だと調子に乗ってしまうことも単独だと自分でなんとかするしかないし、素直に自然の中で"いる"ことができるのだ。
生きるか死ぬかのウィルダネスまでとはいわないが、なにを持っていって、あるいはなにを置いていって、どう過ごして、どう振る舞って帰ってくるか。
何を感じ、何を想い、そして帰ってきてからはなにをしていくのか。
この時点ですでに最強の遊び方だと思ってる。笑
この感じに共感できる人は世の中にたくさんいると思う。
でも近くに無いとか、ハードルが高いとか、時間が無いとか…。
でも実はそれこそが先入観であって、場所なんてどこでもいいと思う。
手つかずの大自然を感じたい時は、ハードルが高いし、お金や時間もかかるかもしれない。
でも自然が好きなのであれば近所には豊富にある。
時間をかけずに過ごせるし、ハードルなんてむしろ存在しなかったりするのだ。笑
僕は加藤さんからロングトレイルの存在自体ももちろんそうだけど、他国の自然に対する接し方や共存・共生に対する考えを教えてもらった。
自然と対峙してただひたすらに次々とピークを目指すハードなやり方も、挑戦や目標という意味では良いと思うけど、それを達成したら次は別に自然に限らない挑戦でも良いということではないのかなと思ってしまう。
多分、加藤さんから言わせれば、挑戦という自分の都合を持ち出すのも悪くないが、せめて自然に対しては謙虚に、一体化するような気持ちで共に時間を過ごして欲しいということを一番に伝えたかったのだと、僕はそう捉えている。
人それぞれなので全くどうでも良いことかもしれないけれど、
僕はこの方から、人工ではない生き方と一体化となる自然の楽しみ方を教わったことには間違い無い。
もっとも伝えようとしていたロングトレイルやバックパッカーという心の放浪は、都会化につれて今後日本にどんどん浸透していくと思います。
本当にありがとうございました。
そして心からのご冥福をお祈り申し上げます。
自然と遊ぶことで、自然を知り、理解し、愛着する。
愛着することによって、自然を守ろうとする意識が芽生える。
- John Muir -
僕がロングトレイルという存在を知ったのはこの方がいたからと言っても過言ではない。
もっと言うと、ロングトレイル自体ではなく、こんな歩き方や過ごし方、いや遊び方と言ったほうが良いのか。現代でもこんなことができるんだという感動を憶えさせていただいた。
それまでは、「自然=山、山=頂上を目指すだけのもの」という先入観が間違い無くあって、
登山自体はもちろん楽しいけど、それだけではないような気がしてならず、僕にとって登山が自分の自然欲を直接消化することに繋がらないでモヤモヤしていた。
秋田の山歩きといえばまだまだ中高年の方々にとっての健康のため、憩いのため、信仰のためというイメージが強い。
そして決してそうでない方もたくさんいらっしゃるが、中には我がもの顔で振る舞う方も数人見かけたことがあった。
僕の中での自然というものはそんな域に無かったのでガッカリした記憶があるのでものすごーく憶えてる。しかしそんな人間は本当にごくごく一部で、大抵の山人は挨拶を交わしたり、情報交換をしてみたり、街中ではありえないような出会いがあったりする。
僕が自然に入る行為は健康のためでもなく、憩いのためでもなく、信仰のためでもなく、今はまだ花に興味があるわけでもない。
そこは上も下も無く、なにかと比べる必要もなく、ハッタリも通用しない、ただただ"あるだけ"という世界観。僕もそこに"いる"だけ。
自分が主役じゃなくなる時間。
複数人だと調子に乗ってしまうことも単独だと自分でなんとかするしかないし、素直に自然の中で"いる"ことができるのだ。
生きるか死ぬかのウィルダネスまでとはいわないが、なにを持っていって、あるいはなにを置いていって、どう過ごして、どう振る舞って帰ってくるか。
何を感じ、何を想い、そして帰ってきてからはなにをしていくのか。
この時点ですでに最強の遊び方だと思ってる。笑
この感じに共感できる人は世の中にたくさんいると思う。
でも近くに無いとか、ハードルが高いとか、時間が無いとか…。
でも実はそれこそが先入観であって、場所なんてどこでもいいと思う。
手つかずの大自然を感じたい時は、ハードルが高いし、お金や時間もかかるかもしれない。
でも自然が好きなのであれば近所には豊富にある。
時間をかけずに過ごせるし、ハードルなんてむしろ存在しなかったりするのだ。笑
僕は加藤さんからロングトレイルの存在自体ももちろんそうだけど、他国の自然に対する接し方や共存・共生に対する考えを教えてもらった。
自然と対峙してただひたすらに次々とピークを目指すハードなやり方も、挑戦や目標という意味では良いと思うけど、それを達成したら次は別に自然に限らない挑戦でも良いということではないのかなと思ってしまう。
多分、加藤さんから言わせれば、挑戦という自分の都合を持ち出すのも悪くないが、せめて自然に対しては謙虚に、一体化するような気持ちで共に時間を過ごして欲しいということを一番に伝えたかったのだと、僕はそう捉えている。
人それぞれなので全くどうでも良いことかもしれないけれど、
僕はこの方から、人工ではない生き方と一体化となる自然の楽しみ方を教わったことには間違い無い。
もっとも伝えようとしていたロングトレイルやバックパッカーという心の放浪は、都会化につれて今後日本にどんどん浸透していくと思います。
本当にありがとうございました。
そして心からのご冥福をお祈り申し上げます。
自然と遊ぶことで、自然を知り、理解し、愛着する。
愛着することによって、自然を守ろうとする意識が芽生える。
- John Muir -
by hibi-nani
| 2013-05-19 14:17
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