Nothing is made if I do not live.
生きていられると憶うなら、自然に敬意を示すべき。
子供達は "子供" という時期に自然に触れて、その大切さを心に留めなければならない。
好奇心が旺盛なこの時期に、特にこんなご時世だからこそ自然から優しさをもらうべきだ。
残念ながら子供達は先生を選べないという事実がここにある。
子供達は目を輝かせているというのに、それにまったく無関心な大人は自然にさえ無関心なのである。
大人達から出る言葉には、全くと言っていいほど冒険心や探究心をくすぐるセリフは無い。
ただただ黙々ときっちり時間に追われ、公務員特有の "業務をこなしている" という感じがしてならなかった。
今回は予定より早く開始したにも関わらず、押しに押して時間もデタラメだったが笑
薄ら笑いを浮かべながら「熊に行き遇ったら大声を出して走って逃げましょう」
まるで緊張感が見られない。
本当に熊に遭遇したらどうしろというのだ、まったく。
追跡ハイクも「みんなでなかよく山を歩きなさい」である。
ゲーム性はあまり感じられず、ひたすら下を向いて歩く子供達が可哀想にも感じた。
樹々の香り、植物、虫や昆虫などに目を向けさせるなど、学ばせるべきことはたくさんあるのではないか。
以前いらっしゃった先生の中には生徒達に一緒についてまわり、木の実を採って食べさせたり五感を使って勉強させるのがとてもうまかった。
野外炊飯の水の量・火加減など的確な説明で、誰一人として失敗をさせずおいしく食べさせた。
ところが今回はどうだ、ご飯は焦げるし芯が残っていて固い、しまいにはカレーもドライカレーになっていた。
これも良い思い出だと言える余裕も無いくらいほぼ全滅していた。
そして先生方の口から出る言葉といえば「今年の生徒は…ウダウダウダ…」
僕から言わせて頂くと「今年の先生は…ウダウダウダ…」だ。
いかにアウトドアから疎遠か一目瞭然、マニュアルしか知らないからこんなことになるのだ。
普段の勉強よりもまず、一人で過ごさなければいけない状況、地球が崩れ始めている今大袈裟に言えば、将来生き残るために(事故や災害時など)この行事は何よりも役立つのではないか。
もっともっと緊張感をもって取り組むべきである。
生きていなければなにもできない。
愛することもできなければ、幸せにすることもできない。
感動をすることもできなければ、勉強することさえできないではないか。
僕がアウトドアに目を向けた理由はこれに尽きる。
資本主義や肩書きなど無くなり、裸一貫になった時に果たして胸を張って生きていられるだろうか?
最近は特に発展に伴い、"誰か" または "ナニカ" に頼りきって(自分も含め)生きてはないだろうか?
そんな現代より、火を操り狩りをして生活していた人間本来の生き方から学ぶことがたくさんあった。
ホーボージュンさんや野田知佑さんは確実に生き残れるし、"生きる" ということを知っているんだと思う。
だから僕は尊敬している。
生徒に飯盒でご飯を炊いたりキャンプをしたことがあるか聞いたところ、2,3人の子供が手を挙げた。
このコ達はとても運が良い、きっとご両親が好きなのだろう。
極論を言うとつまりは「子供は被害者であり、なにも悪くない」ということ。
大人達の敷いたレールを走っていてもダメになる可能性がある。
良い大人と悪い大人をその純粋な瞳で見極め、時には多いにハミ出せばいいのだ!
君たちの素直な気持ちは "GReeeeNのキセキ"に乗って僕の心に染み渡った。
子供の歌声は、時に涙を誘う。
子供達は "子供" という時期に自然に触れて、その大切さを心に留めなければならない。
好奇心が旺盛なこの時期に、特にこんなご時世だからこそ自然から優しさをもらうべきだ。
残念ながら子供達は先生を選べないという事実がここにある。
子供達は目を輝かせているというのに、それにまったく無関心な大人は自然にさえ無関心なのである。
大人達から出る言葉には、全くと言っていいほど冒険心や探究心をくすぐるセリフは無い。
ただただ黙々ときっちり時間に追われ、公務員特有の "業務をこなしている" という感じがしてならなかった。
今回は予定より早く開始したにも関わらず、押しに押して時間もデタラメだったが笑
薄ら笑いを浮かべながら「熊に行き遇ったら大声を出して走って逃げましょう」
まるで緊張感が見られない。
本当に熊に遭遇したらどうしろというのだ、まったく。
追跡ハイクも「みんなでなかよく山を歩きなさい」である。
ゲーム性はあまり感じられず、ひたすら下を向いて歩く子供達が可哀想にも感じた。
樹々の香り、植物、虫や昆虫などに目を向けさせるなど、学ばせるべきことはたくさんあるのではないか。
以前いらっしゃった先生の中には生徒達に一緒についてまわり、木の実を採って食べさせたり五感を使って勉強させるのがとてもうまかった。
野外炊飯の水の量・火加減など的確な説明で、誰一人として失敗をさせずおいしく食べさせた。
ところが今回はどうだ、ご飯は焦げるし芯が残っていて固い、しまいにはカレーもドライカレーになっていた。
これも良い思い出だと言える余裕も無いくらいほぼ全滅していた。
そして先生方の口から出る言葉といえば「今年の生徒は…ウダウダウダ…」
僕から言わせて頂くと「今年の先生は…ウダウダウダ…」だ。
いかにアウトドアから疎遠か一目瞭然、マニュアルしか知らないからこんなことになるのだ。
普段の勉強よりもまず、一人で過ごさなければいけない状況、地球が崩れ始めている今大袈裟に言えば、将来生き残るために(事故や災害時など)この行事は何よりも役立つのではないか。
もっともっと緊張感をもって取り組むべきである。
生きていなければなにもできない。
愛することもできなければ、幸せにすることもできない。
感動をすることもできなければ、勉強することさえできないではないか。
僕がアウトドアに目を向けた理由はこれに尽きる。
資本主義や肩書きなど無くなり、裸一貫になった時に果たして胸を張って生きていられるだろうか?
最近は特に発展に伴い、"誰か" または "ナニカ" に頼りきって(自分も含め)生きてはないだろうか?
そんな現代より、火を操り狩りをして生活していた人間本来の生き方から学ぶことがたくさんあった。
ホーボージュンさんや野田知佑さんは確実に生き残れるし、"生きる" ということを知っているんだと思う。
だから僕は尊敬している。
生徒に飯盒でご飯を炊いたりキャンプをしたことがあるか聞いたところ、2,3人の子供が手を挙げた。
このコ達はとても運が良い、きっとご両親が好きなのだろう。
極論を言うとつまりは「子供は被害者であり、なにも悪くない」ということ。
大人達の敷いたレールを走っていてもダメになる可能性がある。
良い大人と悪い大人をその純粋な瞳で見極め、時には多いにハミ出せばいいのだ!
君たちの素直な気持ちは "GReeeeNのキセキ"に乗って僕の心に染み渡った。
子供の歌声は、時に涙を誘う。
by hibi-nani
| 2009-06-10 00:43
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